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11月23日の講演会案内が届きました。ご覧ください。

第16回白石市生涯学習フェスティバル事業

『 戊辰戦争 140年in白石』

〜いま奥羽越列藩同盟の歴史的意義を再考する〜

 戊辰戦争 140年を期に、奥羽越列同盟の加盟自治体などが、会盟の地「白石」に会し、講演会やシンポジウムなどを開催します。
  この機会に、「奥羽越列藩同盟」の歴史的背景や意義を考えてみませんか? 皆さんのご来場をお待ちしています。

■基調講演とシンポジウム

「戊辰戦争と奥羽越列藩同盟の歴史的意義」

日時: 11月23日(日)
会場:  ホワイトキユーブ   コンサートホール
定員:  600名 ( 先着順) ※入場無料

【基調講演】 13:30 15:00

●講師  作家・歴史家 加来耕三氏


加来耕三氏

【シンポジウム】 15:10 16:30

●コーデイネーター

作家・戊辰戦争研究会主宰 星 亮一氏

●パネリスト

秋田藩 (秋田市):秋田大学教育文化学部日本史研究室教授 渡辺英夫氏、
盛岡藩 (盛岡市):編集者・ライター 佐藤竜一氏、
仙台藩 (仙台市):仙台市博物館学芸員 水野沙織氏、
米沢藩 (米沢市):米沢市上杉博物館主任学芸員 角屋由美子氏、
長岡藩 (長岡 市 ):河井継之助記念館館長 稲川明雄氏、
会津藩 (会津若松市):会津若松市立会津図書館館長 野口信一氏、
白石城 (白石市):白石市長

※整理券を市民課 (本庁1階)、生涯学習課(本庁2階)、各公民館、碧水園、勤労青少年ホーム、働く婦人の家、ホワイトキューブの各窓口で配布します。

 当日、整理券がなくても入場できますので、お気軽にお越しください。

■戊辰戦争関係資料展示と関係教材ビデオ上映

●期間 11月22日(土)〜27日(木) 9:00〜16:00

●会場  図書館  ※入場無料

※ただし、 11 月 24 日(月)は休館

●問い合わせ先  白石市生涯学習フェスティバル実行委員会 (事務局:生涯学習課)  0224-22-1327

( 平成 20年10月29日  嶋 健一郎 )


■NACK5、本日出演

 NACK5(埼玉県のラジオ放送局・関東エリア)の本日午後11時過ぎから放送の、「おとこラジオ」の「戦国武将」(トークコーナー)に、加来が声の出演をさせていただきます。
  徳川家康の人となり、今、求められる戦国武将像など、従来の見方をはなれ、実像に近い人物像が語られるかと存じます。お時間のある方は、お耳をお貸しください。

( 平成 20年10月24日  嶋 健一郎 )


本日の講演会のお知らせ

 

本日、山形テルサホールにおいて、「天地人シンポジウム」(主催:大河ドラマ「天地人」山形県推進協議会)が開催されました。

加来が講師として参加させていただきましたが、山形県の皆様の、最上義光に対するあつい尊敬の念を知り、深く感銘を受けておりました。

また、山形市内には「最上義光歴史館」もございますので、お近くにお越しの際は、是非お立ち寄りください。

 

( 平成 20年10月25日  嶋 健一郎 )

 


■26日は鞆の浦歴史民族資料館へ

 来たる 10月26日、広島県福山市鞆の浦歴史民族資料館による、特別講演会が福山市鞆公民館3Fホールで開催されます(聴講は無料)。この度は加来が講師にお招きいただき、「坂本龍馬の行動学〜龍馬と鞆・いろは丸について〜」を講演させていただきます。

 お時間のある方は、ぜひ、ご来場ください。

 史実の坂本龍馬と小説の彼の違い、龍馬の功績、いろは丸事件の真相についてなど、加来の史観にもとづく挿話が、いつものことながら脱線しつつ、お楽しみいただけるかと思います。

( 平成 20年10月24日 加来耕三事務所 嶋 健一郎 )


■ただ今、『週刊ダイヤモンド』発売中です。

 加来耕三の週刊連載といえば、本日、第 221回を数える「Fuji Sankei Business i.」(日刊新聞・日本工業新聞新社)の毎週月曜日(10月6日より、それ以前は毎週土曜日)連載の「承継の時〜中興の祖の研究〜」が定着していますが、月刊誌に比べて加来は、週刊誌に登場する回数はきわめて少ないようです。先般『週刊新潮』(10月16日号)に作家生活25周年記念で刊行していただいた『名君の条件』(グラフ社)を書評欄で取り上げていただきましたが、本人が原稿を執筆するというのは、時間的に相当無理があるようです。
  それがこのたび、『週刊ダイヤモンド』副編集長の深澤献氏の口利きで、めずらしく加来が週刊誌に登場いたしました。『週刊ダイヤモンド』( 2008.10.25特大号)表紙に大きく、「歴史を知れば経済がわかる!」とあり、ありがたいことにその横に、加来の名前まで載せていただいております。
  今回は「「班田収授法」から振り返る「日本人とコメとカネ」」と「働く女性のロールモデル 篤姫が貫いた女の使命」の二本を執筆いたしております。
  とりわけ、日本人の中流意識は「班田収授法」以来の伝統であり、日本の官僚は古代より想定外のことが起きるという発想に乏しいことを、「コメとカネ」から説いているのはおもしろい視点だと思います。ぜひ、ご一読ください。

(平成20年10月19日・加来耕三事務所・嶋 健一郎)

追伸・そういえばインタビュー記事では「女性セブン」( 10月16日号)の『大河が2倍おもしろくなる! これであなたは「篤姫」』にも、加来はコメントを寄せておりました。
  女性の方からメールを事務所にいただくことは珍しく、所員一同、驚嘆いたしました。

( 平成 20年10月24日  嶋 健一郎 )


■杉田幸三先生の遺作、発売される!

 河出文庫から『決定版 日本剣客事典』( 950円)が10月7日に発売となりました。
  加来が解説を書かせていただいたのですが、何を隠そう杉田先生は加来の文学上の師匠にあたる方であります。
 20代のおり、月刊『歴史と旅』(秋田書店・現在休刊)の忘年会でお会いして以来、上京する度に、大井町にあった杉田先生のもとへ足繁く通い、作家の心構えについて、また文壇のことなど、色々と教えていただいたそうです。
  杉田先生が理事をつとめていた新鷹会に も、村上元三先生とお二人して入会を勧めていただき、一度は勉強会にも出席したのですが、どうにも 枝葉末節にこだわる会員が多く、準会員の加来は一度で逃げ出したそうです。
  この度の河出文庫の解説、杉田先生のことを書くと涙が出て先が書けないからと、「古武道の世界へようこそ!」と題した、と本人は弁明しておりました。
  杉田先生は平成 16年(2004)9月2日に死去されておられます。ご冥福をお祈りしますとともに、力作の遺作をぜひ、より多くの方々にご拝読賜れればと存じます。
  ちなみに、加来の先祖「川崎 鑰之助(かぎのすけ) 」も、加来が免許相伝をいただいたタイ捨流の開祖「丸目蔵人佐」も、作中に掲載されております。

(平成 20年10月15日・加来耕三事務所・嶋 健一郎)


■『直江兼続と関ヶ原の戦いの謎〈徹底検証〉』刊行される

 加来にとりまして、講談社文庫 10作目となる『直江兼続と関ヶ原の戦いの謎〈徹底検証〉』が10月15日、発売となりました。

 来年の大河ドラマ『天地人』の主人公・直江兼続の生涯と、そのかかわった二つの合戦〜御館の乱と関ヶ原の戦い〜を分かりやすく検証したものです。

 今回は担当編集者の要請もあり、これまでより少し厚みを押えて、ページ数を 305ページとしたところに特徴があります。加来は書きはじめると、原稿オーバーをするのが常で、今回は最初から枚数を計算しながら書いたようで、いささか行数計算に疲れたようです。

 しかしその分、コンパクトにまとまっております。ぜひ、ご一読をたまわりますよう、お願い申し上げます。

(平成 20年10月15日・加来耕三事務所・嶋 健一郎)


■再び『FLASH』に登場

前回の「〜幕末ヒロインと英雄を丸裸にする〜じつは篤姫は日本一の大酒飲みだった!」(『 FLASH』6月7日発売号・光文社)が大好評を博したようで、夢よもう一度で、このたび明治維新期の姫さまを特集する企画を、中西啓氏が加来に持ち込みました。

9月9日発売の『幕末、維新のお姫様 波乱万丈伝』――まさか、姫さまなど知るまい、と中西氏は思っていたようですが、加来はスラスラと明治維新期(幕末〜明治初期)にかけての美しい姫君の名前をあげ、その父、夫を説明いたしました。

 これには、中西氏もおそれいったようで、インタビュー記事も前回同様、掲載していただき、ラストページ( P75)には加来の写真まで載せていただきました。

 ちなみに、この加来の写真は、カメラマンの佐々木恵子氏が撮られたもので、最近では、モデル=加来の実物をカバーして、一番よく撮れている、と加来が申しておりました。

(平成 20年10月15日・加来耕三事務所・嶋 健一郎)

■月月火水木金金

9月より、加来耕三事務所では、編集部・調査部ともに、「週休二日」の社則もどこへやら、

『直江兼続と関ヶ原の戦いの謎〈徹底検証〉』(講談社文庫)

『うわさの日本史』(NHK出版生活人新書)

『家康が怖れた男 直江兼続と関ヶ原の義将たち』(グラフ社)

『直江兼続』(ポプラ社・児童図書)

計 4作の単行本・文庫・新書が、月々の連載に加えて工程(月間)スケジュールに重なるように入ってまいりました(本当はまだ年内刊行予定4冊決まっているのですが、とても9、10月中には間に合いそうにありません。スタッフとして、加来になりかわり、担当編集者の方々には、まことに申し訳なく思っております)。
加来にとっては、作家生活で初めての口述筆記が一冊入っているとはいえ、歴史記述の確認をとる作業は、加来の執筆と何ら変わるところはありません。 とにかく加来は、書きはじめれば執筆速度は申し分ないのですが、スタッフによる細かい確認が、それに追いつかないのです。 書き手は一人、確認作業にあたっている所員が 4人もいて、加来の原稿があがるのを、コーヒーでも飲みながら待つ休憩時間がありません。
 脱稿して、初校→ 2校となるわけですが、調査途中のもの、いまだ確認のとれないものは、どんどん 溜 ( たま ) っていきます。結果、各々の担当調査が完了せず、土日返上となるわけです。
 入社したおり、「 2年もすれば歴史のオーソリティーになれるよ」、と、今年の3月に作家として独立した水谷俊樹先輩に言われましたが、これは間違いないようです。
 慣れてくると勘がはたらき、スピーディーに資料をさがせるようですが、新人はなかなかそうはいきません。自分のためになる、と考えてふんばるか、もっと楽な仕事に就こうと考え直すか、これは所員一人一人の意思によるかと思います。

(平成 20年10月1日・加来耕三事務所・仲保 昭広)

○自己紹介

 本日より入社いたしました、嶋と申します。なんの縁あってか、加来の下で修行させていただくことになりました。
歴史が好きなので、加来の著書は数年前から読んでおりましたが、
まさか、上京して、この著名な人物の下で働くことができるとは思ってもおりませんでした。
  大学では中国哲学史を専攻しておりました。作家を志したのが少し遅かったのですが、
事務所に 縁 ( ゆかり ) の、楠木誠一郎先生、山村竜也先生、河合敦先生、西澤朱実先生などを
目標にしつつ、これから一生懸命、がんばっていきたいと考えております。
  皆様のお陰で現在、事務所はかなりの盛況ぶりでございます。
全国を飛び回りながら次回作の構想を練る、多忙な加来をサポートできますよう、
全力を尽くしてまいりますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。

(平成 20年10月1日・加来耕三事務所・嶋 健一郎)
■ 講演会のお知らせ

本日9月19日(金)、穂高ビューホテルにおいて、「ソランビジネスセミナー2008」(主催:ソラン株式会社)が、開催されました。
加来が講師として参加させていただきましたが、主宰者の地道な社会貢献に、いたく感動いたしておりました。

( 平成 20年9月19日 加来耕三事務所・ 大河平愛子 )


■ TBSラジオの出演、あと4回となる

 10年に渡り、ご支持をいただいてまいりました、加来耕三の出演番組――『中村尚登の土曜ニュースプラザ』の中の、「全国8時です」のコーナーが、番組ともどもこの9月一杯で、終了することとなりました。
先月、500回を迎え、加来は思い残すことはない、と申しております。
  その最後を記念して、残り 4回を以下の内容で、「加来耕三の遺言」と題することになりそうです。

9月 6日 歴史に学び未来を読む
9月13日 戦略と戦術は違う
9月20日 論語の世界
9月27日 これからの日本を予想する          (いずれも仮題)

 お時間のある方は、どうぞ、土曜日の午前8時、全国のTBS系ラジオにお耳を傾けてください。

 なお、これからは私、大河平ができるかぎり公開の講演会を、このコーナーで紹介するようにいたします。今後ともよろしくおねがいします。

( 平成 20年9月1日 加来耕三事務所・ 大河平愛子 )


■ 新入社員、入社す

 小さな事務所にも、伝説は生まれる。
  「今度の加来さんところの新人二人は、できるらしいぞ」
  と、ある雑誌の連載担当者がいう。
  それを聞いた人は、なぜ、できるとわかるのか、と当然のごとく尋ねる。
  「なんでも、480分の2だそうだ」
  わかったような、わからないような話だが、最近、この種のやりとりが徐々に聞かれるようになった。いいだしっぺは多分、私(筆者)であろう。
  今年の3月、約7年(正社員、契約期間も含め)、わが事務所に在籍し、なかなか仕事をしない所長(筆者)をせっつき、連載担当者に電話の受話器をもちながら、平身低頭して遅れを詫び、かわって資料を収集し、どうにか事務所の編集部を切り盛りしてきた、優秀な(?)水谷俊樹君が、かねてからの約定によって、作家として独立し、門戸を張ることになった。
  ほんとうは、もっと在職してほしかったのだが、それでは彼の人生をあまりに 容喙 ( ようかい ) することになり、本人のためにならない。涙を振って、独立を祝したが、編集部に残ってパニックになったのが仲保昭広君であった。
  在職2年目――まだ23歳の彼は、日々の重労働に耐えてがんばったのだが、ものには限度というものがあったようだ。調査部へ移り、自分のローテーションで仕事がしたい、との希望が出て、やむをえず、改めて新人を募集することにした。
  協力関係にある内外のスタッフに助力をあおぎ、インターネットの「エン・ジャパン株式会社」の関東版に募集データを載せ、あわせて存じよりにも、知る辺の紹介をお願いし、約一ヵ月で正確には483名ほどの募集者を得た。
  ネットでの返信を読み、紹介者に話を聞き、履歴書を送ってもらい、作文を書いてもらって、面接試験をくり返した。
  といっても、所長は暢気なもので、最終選考に残った人々のみと会ったにすぎない。
  それでも不思議なもので、「明日で決まるか」という前夜、これほど寝つきのいい人間が、妙に眠れない。考えてみればあたり前で、採用した人の人生を預かり、未来を左右することにもなりかねないのだから。
  幸い、内外の面接官が等しく、二人の男女を選出してくれ、二人も考えた末、どうにかわが事務所に来てくれることになった。二人は9月1日付の採用となり、目下、社内研修中である。
  所長の責任は、とてつもなく大きい。
  なんとか、この若い二人に助手をしてもらいながら、今年迎える50歳を当面、60歳までは懸命に、執筆に励みたいと考えている。
 伝説が、より多くの関係者に広がり、 肯 ( がえん ) じていただけることを、せつに祈ってやまない。   

(平成20年9月1日 加来耕三)


•自己紹介

 今月から、加来耕三事務所で働かせていただくことになりました、大河平愛子です。
  さて、突然ですが問題です。
この「大河平」という名字は一見簡単なようで、残念ながら現在まで初対面の方に、正しく読んでいただけたことはありません。皆様はいかがでしょうか。珍しい名字というのは、不便なことも実はたくさんありますが、こうして必ず話のつかみになってくれたり、時には出身地をたずねられて話が弾むので、個人的には気に入っています。
気になる(?)出身地ですが、お茶の美味しい、穏やかな静岡です。
ただ、両親の出身地が、鹿児島県大島郡は奄美大島の南に位置する徳之島ですから、
先祖から脈々と受け継ぐ島んちゅの「血」を強烈に感じながら育ちました。
闘牛の盛んな南国の情熱と、静岡人の寛容さを持って、仕事に励みたいと思います。
今まで海外含め色々なところに住みましたが、初めての TOKYO LIFEも楽しみです。
  さて、冒頭で挙げた私の名字ですが、「おこひら」と読みます。
早く皆様にこの名前を覚えていただけるよう頑張ります。どうぞ、よろしくお願いいたします。

はじめまして。笠原智広と申します。
9月1日、加来耕三事務所へ入社いたしました。山形県出身。専門は英語です。
ただいま歴史を勉強中。休日は自転車で都内を走り回っております。
同時入社いたしました大河平ともども、よろしくお願い申しあげます。 “新生”加来耕三事務所にご期待ください。

(平成20年9月1日 大河平愛子・笠原智広)


■ BS 11 に加来、出演!!

 来たる 7 月 13 日(日曜日)、午後 8 時からのBS 11 『歴史のもしも』に、加来がゲスト出演させていただきます。
  タイトルは「もしも豊臣秀吉が小牧・長久手の戦いで完敗していたら」で、番組の司会は加来にとっては長年の盟友ともいうべき、作家で三猿舎の代表をつとめる安田清人氏(もと『歴史読本』編集者)と、名アナウンサーで歴史の造詣深き麻木久仁子氏。
  番組を一緒したゲストは、國學院大学講師の宮本義己氏です。宮本氏はこれまで加来の監修した、民放の歴史番組に度々、ご出演いただいていながら、今回がはじめての顔合わせとなりました。良識と歴史の知識を豊富に持たれた百戦錬磨の論客。さて、加来の主張は……。
  お時間のある方は、ぜひ、 55 分、お付き合いいただければと存じます。

(平成20年7月5日 仲保昭広)


■ JAM The WORLD に加来出演!!

6 月 30 日 〜 7 月 2 日にかけて、午後 8 時から 9 時 50 分までのFMラジオ局J - WAVE( 81.3 )の本格ニュースワイド「マクロミル  CASE FILE 」に、加来がインタビュー出演いたします。
毎夜、午後 9 時 25 分頃ということです。
  お時間のある方はぜひ、お耳をお貸しいただければと存じます。

(平成20年6月29日 加来耕三事務所・仲保昭広)


■ 祝御礼!「承継の時 中興の祖の研究」連載200回を数える。

現在、「フジサンケイビジネスアイ」(日本工業新聞社)紙上に、毎週土曜日、加来が連載させていただいております、「承継の時 中興の祖の研究」が、平成 20 年 5 月 24 日 18 面掲載「サントリー 二代目社長 佐治敬三( 8 )」をもって、都合 200 回に達しました。
  加来はこれまでも、創業者の研究、補佐役の研究、後継者の研究と、明治―大正―昭和―平成と今日に通じる日本の経営者列伝を、月刊誌、新聞等において連載・発表してまいりましたが、週刊連載でトータル 200 回を超えたのは、この度の「承継の時」が、作家生活 25 年で、はじめての経験でした。
  この連載は平成 16 年 3 月より、名門「日本工業新聞」が新聞名を現在の「フジサンケイビジネスアイ」に変更、リニューアル創刊されて以来の長寿連載でもあり、当初は土曜日、それから月曜日、そして現在の土曜日へと曜日は移りつつ、読者の圧倒的な支持をいただいて、つづいてまいりました。
  200 回、途切れることなくつづいた理由について、加来は登場いただいた経営者(中興の祖)の魅力に尽きる、と申しております。

 以下、ラインナップをご覧下さい。

第 1 回 武田薬品工業 現・会長 武田國男氏 (平成 16 年 3 月 6 日〜 4 月 3 日)
第 2 回 再建の神様 土光敏夫氏 (平成 16 年 4 月 10 日〜 5 月 15 日)
第 3 回 電通 第4代社長 吉田秀雄氏(平成 16 年 5 月 29 日〜 8 月 7 日)
第4回 ポプラ社 第 3 代社長 坂井宏先氏(平成 16 年 8 月 21 日〜 11 月 20 日)
第5回 住友生命 戦後2代社長 新井正明氏(平成 16 年 11 月 27 日〜平成 17 年 2 月 26 日)
第 6 回 トヨタ自動車 第5代社長 豊田英二氏(平成 17 年 3 月 6 日〜 8 月 1 日)
第 7 回 松坂屋 第 9 代社長 岡田邦彦氏(平成 17 年 8 月 15 日〜 10 月 31 日)
第 8 回 カゴメ 第 7 代社長 喜岡浩二氏(平成 17 年 11 月 7 日〜平成 18 年 2 月 27 日)
第 9 回 ミツカン 第 8 代社長 中埜又左エ門和英氏(平成18年3月6日〜平成18年6月12日)
第 10 回 ブラザー工業 第 8 代社長 安井義博氏(平成18年6月19日〜平成18年10月16日)
第 11 回 日本ガイシ 第 7 代社長 竹見淳一氏(平成18年10月23日〜平成 19年 2 月19 日)
第 12 回 旭化成 第 5 代社長 宮崎輝氏(平成 19 年 2 月 26 日〜平成 19 年 6 月 30 日)
第 13 回 月桂冠  11 代目 大倉恒吉氏(平成 19 年 7 月 7 日〜平成 19 年 10 月 27 日)
第 14 回 伊藤忠商事 戦後 6 代目社長 丹羽宇一郎氏(平成19年11月3日〜平成20年3月29日)
第 15 回 サントリー  2 代目社長 佐治敬三氏(平成 20 年 4 月 5 日〜現在連載中)

 なかには、加来が執筆当時、すでにこの世を去られていた方もありますが、その場合でも加来は、各々、企業広報部(あるいは広報室)の協力をいただいて、できうるかぎり関係者の方々とお会いし、その人物の“知られざる一面”、具体的なエピソードの発掘に、意欲を燃やしてまいりました。
  常日頃、歴史上の人物の評伝を専らとした活動の中で、加来はふいに、“生きている方”にお会いし、会話をしたい、との衝動に駆られるのだそうです。
  歴史は途切れることなく、連綿と今日につづいている――歴史はくりかえす――というのが加来の持論で、今日の名経営者を歴史上の人物と比較して記述したのも、この連載がここまでご支持いただいてきた理由ではないか、と毎週寄せられる多数の読者各位からの反響を拝読して、思うことがあります。
  たとえば、連載スタートとなりました武田國男・会長を、加来は「織田信長」と見立てて語っておりました。土光敏夫氏は日蓮、吉田秀雄・第4代社長は徳川家康のような人だったと思う、とコメントしております。
  無数の具体例を抽象化して、普遍的なもの――誰にも理解でき、納得できる原理・原則――を導き出す手法として、歴史上の人物と比較するのは有効な表現法のようです。
  今、まさにこの激動の平成という時代の中で、きわめて難しい企業の舵取りをされる経営者の方々を、直接、お訪ねして話を聞かせていただく、これは“歴史漬け”の生活をしております加来にとっては、自らも勉強になる、なくてはならない取材であるようです。
  そのせいでしょうか、同行した事務所のスタッフにいわせますと、加来は趣味の話ばかり聞いていて、経営についてはポイントを確認するだけで、あまり質問をしていなかった、との印象があるようです。
  もっとも、加来にいわせれば、中興の祖と呼ばれる経営者は皆、例外なく卓越したリーダーシップ、先見性をもった決断力――後の時代からふり返ったとき、なるほど、と納得させられるものを持っていらっしゃるそうです。
  また、歴史上の人物も、今を生きる経営者も、後世、歴史という法廷に立たされるという宿命は同じだ、とも。
  優れた経営者は、自らの経営の是非を自問自答しつづけている、と加来は申しておりました。
  蛇足ながら、この「承継の時」、実は「日本工業新聞」最後の一ヵ月(平成 16 年 2 月)にも、週 2 回のペースで、連載されていたのです。
  そのおりのタイトルは、「承継の達人 事業継承者に学ぶ」でした。
  取り上げたのは、今や世界 90 ヵ国 150 万人の稽古人口を誇る、日本の合気道。その基本戦略を創った、合気道二代道主・植芝吉祥丸先生でした。 400 字詰め原稿用紙にしますと、 60 枚の短期集中連載でした。
  この時の担当者であり、「フジサンケイビジネスアイ」での連載スタート時の担当でもありましたのが、松原英夫氏でした。
  氏とはこれまで「大阪新聞」一面カラーの日刊連載「 21 世紀へのチャレンジ」をはじめ、いくつかの連載をご担当いただきました(現・産経新聞社新企画部長)。
  二代目の担当が、自身、ノンフィクション作家としても活躍中の宮本雅史氏、三代目の担当が廣瀬典孝氏、四代目の担当が青山博美氏、そして現在が中川真氏であります。
  私が加来耕三事務所に入社したのが、平成 18 年 3 月。当時は先輩の方が連絡係をつとめており、私が直接、進行の連絡係を担当するようになったのは、廣瀬氏からとなります。
  連載はこれからいよいよ、サントリー二代目社長・佐治敬三氏が戦後の混乱する日本にあって、独自の戦略=洋酒文化を打ち立てていくというサクセスストーリーへと進んでまいります。
  何卒、今後とも、宜しくご高覧の程、お願い申し上げます。

(平成20年6月1日 仲保昭広)


■ 二胡演奏・指導の渡里文恵さん、コンサート迫る!!

二胡の調べが、どれほど軽妙で一面、哀せつ切々たるものであるか、門外漢の私には語るべき資格がない。
  ――以下は、空想である。
  唐の時代、辺境の城を守るべく派遣された兵士たちは、皆、故郷のこと、妻のこと、わが子のことが気にかかり、夜ごと夜ごとに夢を見て、ますます侘しさを深めたという。
  まして、月にむかって吹かれる「胡笳(こか)」のメロディーを聞いては、ひとしを望郷の念にかられたに違いない。
  この情景は岑参(しんじん)の七言古詩「胡笳の歌 顔真卿(がんしんけい・唐の名臣)の使いして河隴(かろう)に赴くを送る」の一節から、イメージしたものだが、ここにいう「胡笳」は、胡人が葦(あし)の葉などで作った笛のこと。とても哀調を帯びるものであったと伝えられている。夷(えびす)の人々は、馬に乗りながら草笛を吹いたのであろう。
  アジアの歴史を常に発展させてきたシルクロードは、古来より遊牧の民たちが往来し、東海の文化を伝え、結合させた回廊であった。
  シルクロードは「胡笳」のみならず、千万の楽器を往来させ、それ以上のメロディーを、東に西に運んだ。
  遊牧民はラクダや馬に乗り、携帯に便利な小型の楽器を常に手放さず、旅の友として、鞍上の片ひざに楽器をのせては奏でたりもしたはずだ。
  それこそ数え切れない楽器が、平和の時代、戦火の中で創られ、改良され、あるいは忘れ去られ、アジア最大の集積の地、中国大陸に運び込まれた。いまや、この大陸には十二億の民が暮らしている。
  二胡は、シルクロードを越えてやって来て、この大陸で今の形となった。
  それを育んだ中国には、北京と上海という、二大楽都が、世界屈指の音楽家を多数擁して、屹立していた。
  この二つの楽都の基幹をなす、北京中央音楽学院、上海音楽学院、その双方に学んで二胡を修め、さらに南京師範大学音楽学院に進み、二胡演奏と教育学の修士を取得した女性がいた。
 “天女”と見紛うその女流演奏者は、「渡里文恵」というのが正称である。
  が、この女(ひと)の存在をどう説明してよいものか。
  ――天空を、飛ぶのである。
  自ら天衣を肩にひっかけて、中空を飛翔するのではなく、彼女の美しさに見惚れ、その演奏を聞いていると、それこそ格調の高鳴り、軽妙な音律の狭間から、彼女はもう一人分裂して、浮きあがり、いつの間にか空へゆっくりと、のびやかに泳いでいくのである。
  一方、その調べに魅せられた人々の魂魄も、異次元の空間にいざなわれ、浮揚する。
  観客は肩の力が自然と抜け、目の前に中国大陸やシルクロードの山々が見え、自身が異邦人となって時空を旅している感覚を持つに相違ない。
「渡里文恵」が上海音楽学院に進んだとき、その師である人々は、彼女が日本人であることも忘れ、国家奨学生に推薦し、“中華”の国はそれを認証し、可能なかぎりの好意、便宜をこの一女学生に与えた。
  それはまるで、真言宗を開いた空海が、唐の国の恩恵を全身に浴びたのに似ていた。
  日本に一昨年帰国した「渡里文恵」は、昨年、「帰国記念 二胡七夕コンサート」を開いた。彼女の実力にしては、こぢんまりしたコンサートだった。
  私はそれを、友人の日刊現代の森田健司父娘と一緒に、鑑賞する機会に恵まれた。
  曲目は「二泉映月」「ラストエンペラー」「浜辺の歌」「迷胡調」「長城随想」。
  いつしか私は、シルクロードをラクダに乗って、悠々と長安を目指す旅人になっていた。そういえば、かつてシルクロードを旅した時、カシュガルの町であった胡人の女性は、魅惑的な翠(みどり)の瞳をしていた。
  異次元に浮かぶ天女=渡里文恵の瞳も、あるいは翠であったかもしれない。
  音律は詩であり、詩は志であるという。志は心情の響きと解せようか。彼女の演奏には、人々の心の底をいたわるやさしさもあった。
  残念ながら、その音楽そのものについては、私は語る立場がない。評論は戦慄といってよい。たとえば、犬がトラの強さを評論するようなもので、あまりにも軽忽(けいこつ)でありすぎる。
  百聞は一見に如かず、まずは一度、コンサートに足を運ばれるべきであろう。

 来たる 3 月 22 日(土)、フェリス女学院・カイパーサタデーコンサートに「渡里文恵」は出演する。
場所:フェリス女学院 カイパー記念講堂
    JR石川町南口徒歩10分 みなとみらい線元町中華街駅徒歩10分
開場:12:30    開演:13:00
全席自由 3000円 (当日券あり)
主催:フェリス白菊会  п@045−641−5200(火・木)

 渡里文恵の演奏後には、「アンサンブルの魅力〜バッハからピアソラまで〜」の演奏もある。不思議の世界を体験したい方は、是非にも、会場へお運びの程を――。

(平成 20 年 3 月 14 日・加来耕三)


■ 『アインシュタインの眼』、NHK総合にて再放送決定!

 1月 22 日(火) PM10 : 00 〜 10 : 45 、NHKデジタル衛星ハイビジョン( BShi )『アインシュタインの眼 刀一振りに奥義あり〜時代劇を支える殺陣師〜』 が大好評につき、NHK総合での再放送が決定しました。 放送日は、3月 13 日(木) PM 8:00〜(NHK総合)です。
  この番組には、加来耕三がゲスト出演しております。ぜひ、ご視聴ください。

(平成 20 年 3 月 3 日 加来耕三事務所・水谷俊樹)


■ 加来耕三、テレビ番組<出演>のお知らせ

 1月 22 日(火) PM10 : 00 〜 10 : 45 、NHKデジタル衛星ハイビジョン( BShi )『アインシュタインの眼 刀一振りに奥義あり〜時代劇を支える殺陣師〜』に加来耕三がゲスト出演いたします。
  この『アインシュタインの眼』という番組は、秒速の世界でプレーするスポーツ選手や、ミクロ単位の技術を操る職人の技など、肉眼ではとらえられない世界を、最新の撮影技術を駆使しながら、ヒトとモノの不思議な関係に迫るという番組。
  今回は、時代劇の魅力のひとつである「立ち回り」を、スーパーカメラを駆使しながら分析。殺陣師の「究極の技」に迫ります。
  なお、再放送は1月 23 日(水) AM9 : 00 〜 9 : 45 1 月 26 日(土) AM1 : 15 〜 2 : 00 となっています。ぜひ、ご視聴ください。

(平成 20 年 1 月 21 日 加来耕三事務所・水谷俊樹)


■このページを見て下さっている、すべての皆様へ

 明けまして、おめでとうございます。
  本年もよろしくお願い申し上げます。

 今年も常の如く、原稿に追われて越年してしまいましたため、年賀状を書き出すことが皆目、できませんでした。この場を借りて、心よりお詫び申し上げます。
  来年こそは、このようなことにならないよう、努力したいと存じます。何卒、本年も旧に倍するご高配の程、重ねてお願い申し上げます。
  さて、「子(ね)」の年となりました。ねずみは動物の中でも、もっとも繁殖力の強いものの一つとされ、増える、蔓延(はびこ)るの意味を持っています。
  良きように解釈をすれば、新しい生命(いのち)が創造される象徴といえるのではないでしょうか。今年はきっと、新しいものが世に出てくる年になるはずです。
  ねずみを扱った故事も調べてみたのですが、あまり名誉なものがありませんでした。ただ、ふと思い出したものに、次の『詩経(しきょう)』にある「相鼠(そうそ)」という詩があります。

  鼠(ねずみ)を相(み)るに皮有り、人として儀(ぎ)なからんや

人として儀なくんば、死せずして何をか為(な)さん

 どんな鼠を見ても、その体にはちゃんと皮を着けている。人間でありながら、皮だけは鼠と同じようにあって、礼節がなくてよいものだろうか。人間として礼儀、威儀を知らないものは、鼠にも劣る、死んだ方がましだ、との意味になります。
  今年の日本は、色々な分野で、さらなる崩壊に向かう懸念があります。
  歴史家として、作家として、何ができるのか、この年頭に具体的に考え、ぜひとも行動に移したいと考えております。

加来耕三

■加来耕三、新春テレビ番組<出演・監修>のお知らせ

 平成 20年1月4日(金PM9:00〜11:24、日本テレビ開局55周年記念番組『天下統一!三英雄スペシャル 信長・秀吉・家康 果たして誰が真のリーダーか(仮題)』(日本テレビ)に、加来耕三がインタビュー出演します。
  先日、当事務所にて、この番組のインタビュー撮影があり、戦国三英傑の一・織田信長についてを中心にお話させていただきました。ぜひ、ご視聴ください。
  また、 1月10日(木)PM10時00分〜11時24分には、加来耕三が第1弾から監修いたしました番組の第4弾『タモリのヒストリーX W』が放送されます。
  ぜひ、こちらもご笑覧いただければと存じます。

(平成 19 年 12 月 26 日 加来耕三事務所 水谷俊樹)


■『天璋院と徳川将軍家101の謎』好評発売中!!

 去る 11 月、歴史研究家の川口素生氏より、『天璋院と徳川将軍家 101 の謎』( PHP 研究所・ PHP 文庫)をご恵送いただきました。誠に有り難うございます。
  所長が将来を嘱望している氏は、これまでにも『戦国名軍師列伝』『山本勘助 101 の謎』(ともに PHP 文庫)などを手がけられてきました。
  今回、ご紹介する本は、激動の幕末を生きた天璋院(篤姫)、彼女を取り巻く徳川将軍家、島津家、和宮についての 101 の話を紹介した、まさに、天璋院のすべてがわかる本です。
  所長がすでに刊行し、重版をいただいた『天璋院篤姫と大奥の女たちの謎〈徹底検証〉』(講談社・講談社文庫)と併読すれば、来年の NHK 大河ドラマ「篤姫」も、より一層、楽しめること受け合いです!

(平成 19 年 12 月 6 日 加来耕三事務所 仲保昭広)


■加来耕三の消えたアリバイ5時間の謎!?

近況報告がこのところ、更新されていない、と皆様からお叱りを受け、所長(加来)からも、すぐに書け、と命令が下ったのが 9 月 19 日(水)のことでした。所長はこのところ、連日の講演会のために、減量が予定通りに減らないものですから(目標 78.1 キロが、実際は 79.1 キロぐらい)、どうも感情的になって困ります。しかし、ネタがなくてはなかなか書けませんし、所長の多忙は今に始まったことではありませんし……。
  確かに、今週は 9 月 17 日(月)、沖縄での内外情勢調査会沖縄支部の講演会(翌日午後 12 時〜午後 2 時)に出席するため、ほぼ徹夜で連載 10 本を書き上げ、前乗りのために羽田空港へ行ったのですが、ここで ANA に台風と整備不良で 3 時間ちかい足止めをくらい、その事情説明も下手で、何を言っているのかさっぱりわからない状況であったそうです。「 JAL よりはまし、と思っていたけど、 ANA も変わらない」と所長は申しておりました。結局、午後 3 時 45 分に那覇へ飛ぶはずの 131 便は、午後 6 時の出発。現地のホテルに着いたのは、午後 10 時近くになっていたそうです。
  翌日(火)、政府関係の機関にいらっしゃる旧知の方々と再会し、楽しく講演会をやらせていただいて、羽田へ戻ったのが、午後 7 時 5 分。この日、午後 5 時から開催されている日本ペンクラブ 9 月例会は、欠席(というか、一度も所長は出席したことがありません。あれは暇人の集まりだそうです)。
19 日(水)は午前中、連載原稿を幾つかこなし、午後は伊藤忠商事に丹羽宇一郎会長をお訪ねするというので、喜々として出かけていきました(同行は水谷です)。所長は以前から丹羽会長のファンで、おかげさまで、すでに 166 回( 9 月 22 日付)を数えました「承継の時 中興の祖の研究」(フジサンケイビジネスアイ 毎週土曜日掲載)の、次の新連載にご登板いただくことになり、その人柄を知るためのインタビューに参ったのですが、会長は予定時間を超えて、所長に懇切丁寧にご自身の考え方をご教示いただいたそうです。所長は大変勉強になった、学生時代に戻ってゼミを受けたようだった、といって嬉しそうに帰ってきました。
  さて、翌 20 日(木)は常陸大宮市商工会の商工塾(午後 7 時〜午後 8 時 30 分)、「経営者の真髄に迫る〜日本創始者列伝に学ぶ真の経営者とは〜」のタイトルで講師をこなし、上野にたどり着いたのが午後 11 時 5 分。
  今にして思えば、このあたりで、私たちスタッフは所長の疲れに、気付くべきであったかもしれません。このあと、事件が起きたのです。しかも、ミステリアスなものでした。
21 日(金)はダブルヘッダーで講演があり、午前 10 時 40 分から都道府県退職手当組合職員研修会を永田町の全国町村会館 2F ホールで行ない、午後 12 時 15 分に終了。途中、ゲラの校正をみながら時間をつぶして、午後 4 時 30 分から大宮ラフォーレ清水園で、積水ハウス大宮の講演会――こちらは午後 6 時 15 分の終了。この講演会には、私が同行しました。事務所に戻ってきたのが午後 9 時前後でしたでしょうか。見た目に所長はまったく疲れておらず、よし、明日一日を乗り切れば、日曜日は久しぶりに休める、と自らを励ましておりました。
  ところが、運命の日がやってきたのです。
22 日(土)、 3 時間程度の仮眠の後、 TBS ラジオから迎えに来たハイヤーに乗り、「日本全国 8 時です」に出演させていただき(第 483 回)、終わって一度、事務所に戻ってきて校正などのチェックをしたあと、所長は午後 1 時 30 分池袋発ちちぶ 17 号に乗って所沢、小江戸 15 号に乗り換えて狭山市へと出かけていきました。この日の講演会は、午後 3 時から午後 4 時 30 分まででした。
  私は改札まで見送ったのですが、これがこの日、所長を見る最後になるとは、さすがに気がつきませんでした。呼んでいただいた TKS 研修会の講演会は楽しく、受講の皆様にも恵まれ、また、「乾杯だけなら――」といって参加した懇親会も、よほど所長にとっては居心地が良かったのでしょう。実はこの日の夜、フジテレビの「タモリのヒストリー X 3」という番組( 9 月 30 日午後 7 時オンエアー)の監修をする仕事が入っていたのですが、冷酒をグイッといただくや、「フジテレビの監修は、今日は無理だな」「私は酔った」と言い出し、しこたま地元の冷酒をいただいたようです。
  この間、所長は減量を気にかけて、テーブルの上のご馳走には、箸を一切つけていませんでした。冷酒をおいしくいただいて、最寄の狭山市駅まで送っていただき、帰路についたのですが、所長は池袋に午後 7 時 46 分に現われないのです(一度、時間をくりさげた到着時間)。所長はここで、忽然と姿を消してしまったのでした。
  なにしろ酔っ払っておりますし、連日の疲労もあって、乗り換えるなどという芸当が、方向オンチの所長に出来るわけがございません。水谷はきっと、そのまま終点まで寝ていくに違いない、と推理し、池袋駅から高田馬場駅へ移動しましたが、考え得る予定の時間になっても所長は降りてきません。
  駅ですれ違い、見落としたのか、と今度は所長のマンションへ向かったのですが、老人ホームの向かいにある所長のマンションは、外からでも室内に人がいるのかいないのか、カーテンを引いてもわかるようなところです。いくら待っても電気はつかず、呼び鈴を鳴らしましたが出てきません。このとき、午後 10 時。
  私は水谷の命令で、午後 10 時 30 分まで事務所で電話番をしましたが、連絡はどこからもありません。
  ちなみに、所長は携帯電話を持っていますが、いまだに全機能の 10 パーセントも使えない有り様で、普段は電話がかかってきても、音が鳴らないようにしてあります。バイブレーションもありません(パソコンもワープロも、駄目な人ですから)。
  そのため、気がつかなければ次の日まで――というのは、これまでにもいくらでもありました。案の定、本人からの連絡はこの日、ありませんでした。
  仕方なく、水谷も私も張り込みをやめて、午前 12 時には引き揚げたのですが、内心、古流剣術の宗家で、タイ捨流の免許相伝、合気道四段の腕があれば、事件に巻き込まれることはないか、巻き込まれても、何とかするだろう、と高を括っておりました(所長、すみません)。
  すると翌日( 23 日)午前 9 時、所長よりメールが来ました。
  午前 5 時にトイレに立って気がついた、とのこと。この時はマンションに帰りついていたようです。背広もシャツも玄関に脱ぎ捨てたままで、本人はそうした現実には目もくれず、日課となっております今朝の体重をはかったところ 78.3 キロだった、過去最低の記録だ、と喜んでいましたが、ということは、所長は午前 5 時まで何も食べていなかったかと思われます。
  しかも、ポケットの中から、狭山市駅のパンチが入った切符と所沢経由池袋駅までの未使用の座席指定切符が出てきたのです。
  電車に乗った時間は、水谷が講演会主催者の方に確認をしています。午後 7 時 5 分。では、それから午前 5 時まで、所長はどこで何をしていたのでしょうか。
  昼食をとりながら、夢の中で「響」の 30 年ものをストレートで 3 杯飲んだ、と所長は言っていましたが、もしそうなら、どこで所長は「響」を飲んだのでしょうか。 30 年は名酒で、なかなか置いているところが少ない、というメイドイン日本大好き人間の所長ですが、高田馬場・新宿・池袋あたりの、シティーホテルのバーにでも入ったのでしょうか。
  財布の中に入れていたはずの 3 万円がなくなっていた、といいますから、どこかで酒でも飲んで、タクシーで帰ってきたのでしょうが、このルートの謎はいまだにとけておりません。どなたか、このミステリーに挑戦しませんか。
  所長は意識を失っていたことを大いに恥じ、一週間に 5 回、講演会やインタビューなどが続いたときは、かならず助手を同伴することとする。決して懇親会では酒はいただかない、と決めたようです。
  それにしても所長が、昨日、フジテレビの監修をしに行く前に、
「 40 代のリズムを、 50 代に切り替えないといかんなァ。もう、若くない……」
  しみじみ言っていたのが忘れられません。

(平成 19 年 9 月 24 日 加来耕三事務所 仲保昭広)


講演会ラッシュの中、体重はついに 70キロ台へ!!

 いつまでも、点滴中の写真を冒頭に置いておくのはまずい、との所長(加来耕三)の判断で、その後の減量についてふれるように、との指示を受けました。
  たとえば、 6 月 18 日(月)の週――。
  この週は内外情勢調査会(時事通信社主催)の講演会が集中した週でしたが、所長の体重は順調に減っており、 80 キロを 0.2 〜 0.5 の+−で推移しています。
  ちなみに 18 日は、内外情勢調査会鳥取支部懇談会が鳥取厚生年金会館で午後 5 時 30 分から 7 時 30 分まで行なわれ、鳥取市内の人気旅館「こぜにや」に一泊。所長はせっかくの温泉にも入らず、週間連載(毎週土曜発売)の「フジサンケイビジネスI(アイ)」( 6 月 23 日分)を書き上げ、夜は市内を散策。相変わらずの方向音痴もあり、結局、約 2 時間、歩き回ったそうです。
  翌日 19 日(火)には、スーパーおき 3 号で午前中に米子へ移動。米子全日空ホテルで、正午から午後 2 時まで、内外情勢調査会の米子支部で懇談会(昼食と懇談会)。午後 4 時の米子発羽田行ANA 818 便で帰京しました。この日は打ち合わせが幾つかあり、六本木の人気創作和食の「龍吟(りゅうぎん)」、新宿プリンスホテルなどで会合、喫茶をしましたが、体重は増えていません。
  本人曰く、羽田空港の鳥取行きと米子からの帰りの飛行機が、一番遠いゲートの「 69 」であったことが、歩くうえで幸いしたのだろうということでした(ゲートは 70 まで。 70 より 69 のほうが遠いのです)。
  優に羽田空港で一回 1 キロ強は歩いた、と所長は申しておりました。
20 日(水)は、内外情勢調査会足利支部と佐野支部のダブルヘッダー。戻りは午後 6 時 49 分館林発の東武伊勢崎線りょうもう 40 号(北千住到着午後 7 時 42 分)でした。
21 日(木)は加賀能登のれん会協同組合創立 30 周年記念講演会に出講。金沢全日空ホテルにて午後 1 時 30 分から 3 時まで。夜は帰京して、数寄屋橋の「高尾」で会食しましたが、体重はリバウンドしていません。
22 日(金)は内外情勢調査会武相支部懇談会にお招きいただき、正午から午後 2 時まで、ホテルラポール千寿閣(小田急線町田駅)で懇談会。夕方、新宿の椿屋珈琲店にて 3 件、打ち合わせを行ない、夜は神楽坂の「吟遊(ぎんゆう)」へ。店主に日本酒の講義を受けつつ、まぐろ尽くしに舌鼓を打ち(私も同席させてもらいました)、けっこう食べたのですが、所長の体重は増えていません。
  そのあと江古田の「スナックみやぎ」に久し振りに顔を出し、所長はウーロン茶を飲みながら、カラオケを 10 曲ほど歌って帰りました。
23 日(土)は 10 年間つづいているTBSラジオの生放送の日。午前 6 時 30 分、TBS差し回しのハイヤーがマンションへ。本来なら同乗すべき私は、目覚まし時計をかけて寝るのを忘れてしまい、昨夜のおいしかった寿司と日本酒が天井を回り、気がついた時には午前 8 時 23 分(放送終了後)になっていました。
  所長は「日本全国 8 時です」(午前 8 時から同 15 分)に出演後、中村尚登さん、竹下栄梨子さんやスタッフの皆さんと朝食をとったそうですが、体重は動きませんでした。
  蛇足ながら、この日の朝も所長は、 10 年近くつづいている立ち食いそば屋にも立ち寄り、「天玉そば」( 400 円)を食べたそうです。いつもなら 5 分の 3 を私がいただくのですが、この日は所長が一人前を食べたそうです。
  体重は現在、 79.7 キロです。はたして 90 キロからの 30 キロ減量は成るのでしょうか。乞う、ご期待下さい。

(平成 19 年 6 月 24 日 加来耕三事務所 仲保 昭広)


加来耕三、倒れる!?

「急に思いたつ」というのは、所長(加来耕三)の専売特許みたいなものですが、4月21日(土)の朝になって突然、懸案の30キロ減量に改めて挑戦する――と所長が言いだしました。これまでにも何度か挑んできたのですが、体力が低下して風邪をひき、講演会への影響を考え、途中で挫折というケースが大半でした。
  今回は、これまでになかった、おからを原料としたクッキーと、朝の散歩が日課にのぼりました。
  朝7時15分に私が所長を迎えにいき、途中、カチカチの肩揉み20分の休憩を挟み、来た道とは別のルートを使って帰り、計1時間半の行程を歩くのです。
  当初の予定では1ヵ月つづけて様子をみて、そのうえで2時〜3時間に歩く時間をあげる作戦でした。
  ところが、そんなある日、日刊現代の森田健司氏が所長に、毎日、会社の帰りに電車を途中で降りて40分歩いている、とのメールが送られてきました。森田氏は所長と同じ48歳。ならば、と所長も講演会の帰り、タクシーに乗るのをやめ、池袋から有楽町線の駅にして3駅分(45分相当)を歩く、と言いだしたのです。
  300メートル移動するのにもタクシーを使っていた今までの所長を思いますと、体に相当な負担がかかっているのではないか、と推察しておりました。もっとも、体重はスタート時の88.4キロから、4月29日(日)には85.1キロへ。
  しかし、4月30日(月)の朝のことでした。いつもの如く、所長を迎えにいきましたが、第一声から所長の声に張りがなく、訝(いぶか)しがると、やはり、体調がすぐれない様子。結局、その日の散歩は見合わせることになりました。それでも書いてもらわねばならない原稿もあり、普段どおりの仕事を始めますと、しばらくたってから「病院に行ってくる……」との電話が。近所に日曜、祝日もやっている病院があり、所長はそちらへ。
  急ぎ、私も病院に駆けつけますと、そこには診察とレントゲン、血の採取を終え、点滴を打つ所長の姿があり、かなりぐったりしている様子でした。
  診察された医師の方に話を聞くと、
「過労ですね。それに風邪をひいています。現在、点滴を打っています。これは水分の補給です。入院していただくことはありませんが、最低でも一週間は安静にしてもらわなければなりません」
  との答えが。おそらく、いつもの講演会・執筆・歴史マンガの構成・テレビ監修(出演)の多忙さに加え、今年、最も本人が燃えている、新規の仕事――1度できあがったものを、もう一度バラしてチェックし、再構築した――を執筆するのに、心身ともに傾注しており、それらが重なり、加えて地下鉄の駅3駅分を歩いたのが、引き金になったようです。
  そういえば、倒れる前日(29日)は所長のご尊父の7回忌、ご賢兄の50回忌があり、早朝、午前7時30分の羽田空港発ANA141便で大阪へ、日帰りで午後5時45時分の関西空港発JAL186便で戻るという慌ただしさ、睡眠も十分ではないのに、そのあと地下鉄3駅分を歩いたことになります。
  かの天下人・豊臣秀吉も、晩年は「腎虚(じんきょ)」もしくは「労咳(ろうがい)」に悩まされていたといいます。いずれにせよ健康管理の不徹底がたたった“消耗病”=過労であったことは確かなこと。事務所では所長に1週間の休息を取ってもらうことにしました。
  皆様におかれましても、常日頃の健康管理には、十二分の配慮をなされることを切に願います。

 追伸

 所長の携帯、メールが事実上、音信不通になっております。健康を取り戻すまで、私が預からせていただいておりますので、この旨、ご了承ください。
  ここまでしましても、5月1日(火)にはマンションを抜け出して、新宿を徘徊したとの情報もあります。実に困ったことであります。

(平成 19 年 5 月 2 日 加来耕三事務所 仲保昭広)

 


加来耕三、出演・監修番組の視聴率が出揃う!

 4月の第1週は、稀にみる歴史番組ラッシュの一週間でした。
 加来が出演・監修をさせていただきました番組も、3本ありましたが、視聴率をみるかぎり、いずれもご好評をいただけたようです。
  4月4日(水)の『その時歴史が動いた』( NHK )は第8期の第1回目「上杉謙信」のゲストとして出演させていただきましたが、番組の視聴率は手堅く9.6%。再放送も良かったようです。
4月6日(金)の『タモリのヒストリー X  U』(フジテレビ)は、午後11時スタートであったにもかかわらず、13.6%
  翌7日(土)『日本偉人大賞2007〜歴史を変えた超エライ人SP』は、12.2%(フジテレビ・最高瞬間視聴率17. 1 %)でした。
  ちなみに、加来が最も気にしておりました、7日の裏番組TBSの『歴史大河バラエティー クイズひらめき偉人伝〜日本で一番知られている偉人は誰だ!?SP』9.3%でした。加来はTBSラジオの「日本全国8時です」を10年やらせていただいておりますが、なぜか、TBSテレビの番組監修は一度もありません。
  また、『その時歴史が動いた』をご覧になった方々から、「上杉謙信の生き方に感動した」との称賛が多数、私どもにも寄せられました。さらに、『タモリのヒストリー X  U』は、番組の担当者を通じて、「バラエティ番組としてだけではなく、歴史番組としても楽しめました」と、内容の質の高さに対し、視聴者からのメッセージが寄せられたそうです。
  私は、加来耕三事務所に入社して、5年目となります。入社当時は、歴史に関して、まったくの素人でした。が、現在、私が友人と会食に行きますと、「中国の古典はこう言っている」、「その局面で、黒田官兵衛はこうした」と門前の小僧で歴史の話をするようにもなりました。
  日本の、歴史の教科書には登場はしない人物にも、まだまだ、たくさん、興味深いエピソードがあります。今後、テレビ・ラジオ番組を通じて、加来に紹介してもらえればと考えております。
  最後に、このページを借りて、番組に携わったスタッフの皆様に、心よりお礼を申し上げます。

(平成 19 年 4 月 13 日 加来耕三事務所 水谷俊樹)

 


作家・高田崇史氏と会食

 告白するが、私にはジグソーパズル(歴史の謎の解明)の外郭(予想図)を設計するだけの能力がない。できるかぎり客観的に、立体的に、と念じながら、歴史の史片を集めて、組み立てる=真実を知ろうとする。このパズル=謎解きは、日々の生活の糧を得るための、大切な生業(なりわい)となっているが、パズルが組み立てられるまで、それが全体としてどのような形をしたものか、仮説は建て得ても、具体的に予測することはできないでいる。
  ところが世の中には、稀ながらジグソーパズルの全体の形を、事前に設計する能力をもつ人がいるようだ。
  去る 3 月 19 日の夜、講談社の担当編集者・小塚昌弘氏に引き合わされた、作家の高田崇史氏がまさにこの稀なる人であった。
  氏は自分の作品の中で、本来は手段であるべき謎解きを、目的化して独立させ、それにもう一つの現代的殺人事件をからめて、物語を二重に展開させる手法をもちい、人気シリーズ『QED(証明終わり)』の作品群を書いてこられた。
  先般、氏の『QED 龍馬暗殺』=講談社文庫本化( 3 月 15 日発売)の解説「三重構造の推理小説」を、はからずも私が書かせていただいたご縁で、この夜の会食となった。
  よしなしごとながら、同業者と群れ、集い、騒ぐという感覚が、私には欠落している。一応、所属している社団法人日本ペンクラブも、社団法人日本推理作家協会も、未だに一度も月例会、会合に出たことはない。物書きを商売にしていながら、作家と称する同業者に関心がないのだから笑止千万である。
  別に文壇の長になりたいと考えたこともなければ、作家として政治活動をしなければ、と思ったこともない。私は投網(とうあみ)を打つように、資料を渉猟して、一つ一つのジグソーパズルを組み立てながら、一生を終えることができれば、作業途中であってもそれでいいと心底、思っている。
  ときおり、その途中で知り得た無数の具体例を抽象化して、普遍性を求め、それを第三者に講演会などで聞いてもらえれば、私の孤独は十二分に癒(いや)される。身内のような作家、編集者や業界外の友人にも恵まれている。これ以上の望みはない。
  その私が高田氏には興味を抱いた。その理由はぜひ、拙稿の解説文を読んでいただきたいが、さらに、
「私も含め、三人とも昭和 33 年生まれですから」
  との小塚氏の一言が、背中を押してくれた。
  麹町の『エリオ・ロカンダ・イタリアーナ』の料理も美味く、実に楽しい一刻を過ごさせていただいた。
  シャンパンで酔った私は、高田氏に、持参した氏の文庫にサインを強要し、あまつさえ『QED 龍馬暗殺』の続編をぜひ、書いてほしいとせっつき、ついには、通行人でいいから作中に、私を登場させてほしいと歎願した。とんでもない酔っ払いである。
  それでも高田氏は終始ニコヤカに、私の無礼を寛容に許して下さった。
  聞けば、明治薬科大学卒業の氏は、学生時代、松濤館流の空手を修行していたという。私の縁者が学び、中学生の頃、私もほんの短期間ではあったが、教えてもらった流儀ではないか。ヌンチャク、カマ、六尺棒もこのおりに学んだ。
  これは余計だが、氏の作中に出てくる主人公・桑原崇は、高田氏本人の分身と思い定めていたが、より正確には主人公の親友で明邦大学空手部の主将をつとめた、小松崎良平もどうやら高田氏の分身の一部であるようだ。
  これから『QED』シリーズを、時間をかけて完読したいと念じているが、新作も大いに期待でき、はたして全作を完読できるかどうか。

(平成19年3月21日 加来耕三)


加来耕三、テレビ番組・出演、監修のお知らせ

 去る 3 月 15 日 ( 木 ) 、NHK大阪放送局にて、「その時歴史が動いた」の収録がありました。
  来たる 4 月で 8 年目を迎える同番組――その 4 月第 1 回目= 4 月 4 日(水)午後 10 時〜 10 時 59 分――に加来がゲストとして、出演させていただきます。タイトルは『謙信恐るべし 上杉謙信 信長が恐れた戦略家』(仮題)で、「信長が謙信の何を恐れていたか?」「圧倒的な謙信の強さ」について、コメントをさせていただきました。
  同番組に加来は、以前にも出演させていただいたことがありますが、私が同行しましたのは今回が初めて。
  スムーズに進んだ収録後、加来は「今日はガラにもなく、あがってしまった」とスタッフの皆さんに話しておりましたが、その理由は、前回のセットに比べ、この度のセットは松平貞知アナウンサーと距離が近かったことにあるようです。
「松平さんが、やさしく、慈悲深い眼で、私の発言を受け止めて下さろうとしているのが、近くていつになくよくわかった。そのため、間違えてご迷惑をかけてはいけない、そう思えば思うほど、あがってしまった」と加来は申しておりました。
  緊張したのは私も同様で、スタジオ内の緊迫した雰囲気、スタジオセットの壮大さ、松平アナウンサーの存在感に圧倒され、ただ見ているだけの私の方が手に汗をかいておりました。
  加えて、加来にとって上杉謙信はあこがれの歴史上の人物であり、そのことも、ガラにもない緊張につながったようです。
  帰路のタクシー車内でのこと。
  突然、「今晩は『手取川』が飲みたいなァ」と加来。はて、何のことかと私が尋ねると、収録の合間に松平アナウンサーと、謙信と信長の決戦の地と同名の『手取川』という日本酒が話題になり、ひとしきり、ウンチクを語った加来は、「今日の私的打ち上げは、『手取川』で」と心にきめていたとのこと。
  しかし加来は、ポプラ社の坂井宏先社長に禁酒続行を誓い(ただし、シャンパンのみは別)、日本酒は飲めないはずです。そのことを私がいうと、「いや、謙信公にささげる奉納の神酒(みき)だ。おさがりをいただいても、これはただの酒ではあるまい」と、いささか苦しい言い訳。
  その後、宿泊先のホテルに戻って、加来が連載原稿を執筆している間に、私は大阪・キタの阪急百貨店地下 1 階にある酒売り場で『手取川』(吉田酒造店)を購入。その夜は、産経新聞大阪本社の新社屋に、加来の畏敬する運動部長の松原英夫氏を訪ね、「産経新聞」「フジサンケイ・ビジネス I (アイ)」「夕刊フジ」「 SANKEI EXPRESS 」の各編集部を表敬訪問し、本社屋近くで晩御飯を食べ、大阪ミナミの宗右衛門町にある『 TOTO 』にて『手取川』をあけ、午前零時過ぎまでに1本飲み干しました。加来は 1 杯飲むたびに、酒の瓶に手をあわせ、謙信公をうやまいつつ、実に美味そうに飲んでおりました。
  蛇足ながら、この日、カラオケで加来が歌ったのは、なぜか「武田節」――「上杉節がないから、かわりだ」というのが酔っ払いの屁理屈でした。
  くり返しになりますが、放送日は平成 19 年 4 月 4 日(水)午後 10 時 00 分〜午後 10 時59分、NHK総合です。ぜひ、ご覧下さい。
  また、4月6日(金)午後11時〜タモリのヒストリー X  U』(1時間番組)、4月 7 日(土)午後 7 時 57 分〜日本偉人大賞 2007 歴史を変えた超エライ人 SP 』(3時間番組)、どちらも加来が監修いたしました番組が、フジテレビにて放送されます。
  こちらも、ぜひ、ご笑覧いただければと存じます。

(平成19年3月19日 加来耕三事務所 水谷俊樹)


1週間に2度、加来(所長)は広島へ

去る2月7日(水)、加来(※以降、所長)は中小企業大学校広島校で、「歴史に学ぶ幹部の育成法」(これからの中小企業経営〜徹底研究! できる会社の幹部育成の秘訣を探る〜)を午後1時40分から午後4時40分まで講義。さらにその後、2月13日(火)に同じ広島校の地銀等金融機関と連携による経営革新セミナーにも出講(こちらは広島全日空ホテル)。
  先の講演を聞いてくださった方が、もう一度、聞きたい、と全日空の会場にも参加され、所長も話の内容をどうしたものか、と思案しておりました。
「後者は1時間20分しか持ち時間がない。できるなら通常の1時間30分ほしかった。否、くれるなら2時間でも、3時間でもいいのだが……。10分少ないのはなァ……」
  どうやら講演内容を斟酌していたのではなく、持ち時間の10分少ないことにこだわっていたようです。
  私ども加来耕三事務所では、基本的に1時間30分未満の講演はお断りしております。時間が多い分には、いくらでも構いません。どうぞ、機会があれば、お声をかけていただければと存じます。よろしくお願いいたします。

 

(平成19年2月 14 日 加来耕三事務所 仲保昭広)


加来、下痢で倒れる!

 1月11日、本年最初の講演会=三井住友銀行門真法人営業部主催のセミナーが、大阪市中之島セントラルタワー17F、SMBCセミナーホールで開かれました。
  翌12日は水戸信用金庫主催の「みとしん経営研究会―青年重役会、資産活用研究会ひたち支部、同南支部―」の新春合同講演会にお招きいただき、「歴史に学ぶ変革期の企業経営」を講演。
  週末は刊行間近の校正に追われ、15日はわが社の会計をみて下さっている浅野京祐先生を迎えて、夜、近所の大衆割烹でふぐ鍋を所員一同で食しました。
  その翌日(16日)がSMBC経営セミナーで、大阪銀行協会銀行倶楽部別館を会場に、午後2時より5時半まで、経営者の2世、3世を対象としておこなわれました。
  さて、その帰路において、鬼の霍乱でありましょうか。突然、加来(※以降、所長)が新幹線で腹痛におそわれ、下痢の症状を呈し、17日は1日、寝込んでしまいました。
  この日は、朝から打ち合わせの多い日であり、この夜は、ポプラ社の新年会にも招かれていたのですが、まったく立ち上がることができず、事務所は朝からお断りと延期の応対に追われました。
  翌日、SMBC経営セミナーの東京版があり、日本工業倶楽部で大阪同様に午後2時から午後5時半まで講演をさせていただいたのですが、どうにか所長は、この長丁場をクリアしたようです。もう一日早くSMBCの講演会があったらどうしたのか? と尋ねますと、講演会に言い訳はできない。とりあえず、這ってでも会場に行き、そこで倒れて帰ってくる、と申しておりました。かつて、40度の熱で講演会に臨んだそうです。おそらくそうしたに違いありません。
  本人も大変でしょうが、付いていくわれわれも大変です。ちなみに、18日と翌19日のNTISユーザー会新春会講演会(ホテルパシフィック東京)は水谷さんが付き添いました。
  20日、TBSラジオ局へ午前7時半に到着。さすがにこの日は恒例定番の立喰いそば(天玉そば)を食べられず、それでも「全国8時です」出演前に、きつねうどんを食べたそうです(同行は水谷さんでした)。
  日曜日は休養し、22日の野村證券の研修会(都内)、23日のRKB毎日放送(福岡市)の出演、24日の福山みずほ研修会(福山ニューキャッスルホテル)、25日の狭山りそな会(埼玉りそな銀行狭山支店 一番街出張所3F会議室)と続きましたが、すでに事務所の付き人はなし。
  所長曰く、4日で5キロ痩せたそうで、「下痢(ゲリ)式ダイエット」の本を執筆しようか、との思いつきでしたが、これは所員全員に否定されてしまいました。
  また、この下痢はノロウィルスではないか、と所長はしきりに疑っていました。
  では、なぜ、私たち所員がうつらなかったのか。所長曰く、「君たちは出自が卑しいからあたらなかったに違いない」とのことでした。
  真相は藪の中です。

(平成19年1月26日 加来耕三事務所 仲保昭広)

加来、1月3日より「仕事始め」に入る

 私ども加来耕三事務所は、年末12月29日より1月9日が初出社と、長い冬休みが用意されていました。これは月月火水木金金で、仕事に追われた反動だと考えています。
  ところが、私、仲保は独り者でヒマをもてあましており、1月5日に所長(これからは先生と書くな、という加来の命により)――突然、メールがまいりました。
「今、何をしている。ヒマか?」。思わず、反射的に「はい、ヒマです」と打ち返したところ、「それなら事務所へ出てこい」の催促。行くなり、ナツメ社出版予定の『図解雑学 誰も知らない日本史の真実』(2月28日発売予定)のチェックと大和書房のだいわ文庫1周年フェア用に書き下ろした『信長 歴史を動かした「ただひとり」の男』(2月10日発売)の校正、時事通信社のロングセラー『参謀学』の補強版の加筆、打ち込みを手伝わされました。
  結局、9日まで作業は朝午前7時からスタート、夜は午後11時までつづき、私の冬休みは消えてしまいました。
  9日に、何も知らないでリフレッシュして出社した水谷さんの顔をみて、大いに羨ましく思ったものです。
  これからは携帯で返事を打つときは、立ち止まって一呼吸おいてからにしたいと思います。

(平成19年1月9日 加来耕三事務所 仲保昭広)


年末年始、テレビ<監修・出演>番組の視聴率出る!!

 年末 12 月 26 日放送の「超歴史ミステリーロマン 大奥 2 」(テレビ東京)は 12.9 パーセント。年始 1 月 3 日放送の「タモリのヒストリーX」(フジテレビ)は 10.4 パーセントの視聴率が出ました。
  いずれも時間帯を考えますと、大成功ということでテレビ局・編集プロダクションの方々より、監修者としてお褒めの言葉をいただきました。
  このページを借りて、番組に携わったスタッフの皆様に、お礼を申し上げます。

(平成 19 年 1 月 9 日 加来耕三事務所 水谷俊樹)


またしても、年賀状を書けず

 明けましておめでとうございます。本年も何卒、宜しくお願い申し上げます。
  本来ならば、この項目を見てくださっている皆様お一人、お一人へ、年賀のご挨拶をいたすべきところ、年末・年始、思うところもあって、北陸の永平寺を訪ね、色々思慮していたため、一枚も年賀状を書くことがかないませんでした。
  このページをかり、心よりお詫び申し上げます。
  平成19年の干支は亥です。日本では、「猪」を多用しますが、実はこれは俗字、本字は「豬」だそうです。中国では偏の部分だけの「豕」を多くもちいているようです。
「猪」といえば、猪突猛進を連想しがちで、陶製の小さな盃を「猪口(ちょこ)」、小利口者を「猪口才(ちょこざい)」などといい、日本ではあまりいい例えにもちいられませんが、中国は南宋の忠臣・岳飛は、十二支=天の星のうち、「豕」の精を受けた英雄と伝えられてきました。
  そういえば、曾子の妻が子供を市場につれていったおり、むずかって泣く子をなだめるのに、
「家に帰ったら豕(いのしし)をご馳走してあげますよ」
  と、つい口をすべらせてしまう話がありました。
  家に帰って曾子にその話をすると、彼はさっそく家で飼っていた猪を殺して、子供に食べさせたというのです。妻は子供に冗談をいってなだめすかそうとしただけでしたが、曾子はそれを許しませんでした。
「これ子に欺きを教ゆるなり」
  冗談でも、詐(いつわ)りをいうものではない、というのです。
  曾子の真摯さを見習い、すべての人々に充実した一年になりますよう、心より念じております。何卒、旧に倍するご高配の程、重ねてお願い申し上げます。

(平成 19 年 1 月 3 日 加来耕三)



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